書評:エルフィー・ヒンターコフ 書 「いのちとこころのカウンセリング」

評価:
エルフィー ヒンターコプフ
金剛出版
¥ 3,150
(2000-09)
コメント:スピリチュアリティという言葉は、日本では、妙に「高尚に」受け止められるか、逆に貶められるかのいずれかに、特にカウンセリング業界ではなりやすい。実は、例えば花を見て美しいと感じるような、日常のすぐそばに、誰にでもある、ささやかなこころの癒しの世界なのだが。�
Amazonランキング: 525156位
Amazonおすすめ度:
スピリチュアリティとカウンセリングとの関わりについての真摯な書

  エルフィー・ヒンターコフは、アメリカ生まれだが、ヴイーン大学で、先年亡くなった、ナチの収容所体験とその極限状況下において生の意味を見いだせる人たちについて考察した『夜と霧』で有名な、実存分析の大家、フランクルのもとで学んだ後、文化人類学に専攻を変え、ネイティヴ・アメリカンについてのフィールドワークに打ち込み、更にフォーカシング技法の祖、ジェンドリンのもとでフォーカシングを学び、今や心理療法家、フォーカシングの代表的トレーナーとして活躍中の方である。

 厳格なファンダメンタリズム(聖書を字義通りに理解し、進化論も否定する)の家庭で育ったが、13歳の時、やりたかったダンスを取るか宗教を取るかを決断せざるを得なくなり、彼女はダンスを選んだ。何事も「すべき」か「すべきでない」かでとらえようとするキリスト教の風土は彼女にとって無意味に思われた。それ以来彼女は宗教を拒絶したが、日常の中で、ある「無意味感」を抱え続け、彼女が「意味の探求」と呼ぶものをはじめたという。

 前述のフランクルは、生の意味は自分の内側からくみ取るしかないと諭したが、それがどういう意味なのか、この時点での彼女には実感としてはわからなかったという。「わたしは、内側から意味を見出すには何をすればいいのかわかっていなかった」。平和部隊に参加して訪れたインドではヨガの導師に教えを請い、瞑想を学んだが、瞑想をしている最中は安らぎが得られるものの、日常に帰ると、また再び、以前からの葛藤に翻弄されてしまったという。
 
 ジェンドリンとフォーカシングに出会って後、フォーカシング体験を積む中で、はじめて彼女は、以前フランクルが諭した「自分の内側から生の意味をくみ取る」ということ、すなわち、「内側からの、静かな、かそけき声」を聴くということ体験的に理解できるようになった。そして、更に、フォーカシングを深く進める中で、「神、人間、森羅万象と自分が共にある」という体験に至り、仕事や他者との関わりや余暇の過ごし方において、自分の実感を大切にしながら生活することができるようになったとのことである。

 スピリチュアリティという言葉を安易に使うと、日本のカウンセリングの世界では、オーソドックスな専門家からはそれだけで少し安っぽく見られる傾向がある(一般の方からすると驚かれるかもしれないが、「高尚」にはみてもらえない)。しかし、欧米では、クライエントに、性に関する質問を面接の中でしても、日本でに較べれば遙かにフランクに話してくれることが少なくないが、相手の信じる宗教は何かについて訊ねることは、日本人からは想像がつかないくらいにタブー視されがちとのことである。そして、カウンセラー個人の信仰と全く相容れないことをクライエントさんが語り始めた時の葛藤は、日本人には全く想像もつかないくらいに根が深いらしい。

 それにも関わらず、広い意味での宗教的なことに関わるテーマが、多くの面接の中で不可避に登場する。違う宗派の人間同士の結婚にとどまらず、同じ家族の中で、それぞれ信じる宗教が異なり、3つも4つもの宗派に分かれてしまうことも稀ではない。そして、「重要なのは、イエスと私がどんな関係にあるかということなんです」「私は神に対して否定的な感情しか持てないでいます」「私はこれまでの生涯でずっと信心深い人間だったつもりですが、実は一度も神を体験したことがないんです」「私が前世で体験したことが今の私を支配しているんです」などということがカウンセリングで真摯な悩みとして語られることも少なくないらしい。

 こうした中で、ヒンターコフは、まず、"religiousness(宗教性)"と"spirituality"(霊性。以下の文中では特に断りがない限りカタカナで「スピリチュアリティ」と表記する)を区別することを提案する。"religiousness"とは、「ある特定の、組織的な宗教団体や教会などの信念と実践を守ること」である。それに対して、"spirituality"とは、「超越的(transcendent 常識的・合理的な判断を越えた)」次元での、独特の、個人的に意味深い体験」全般のことを指す。

 このようにとらえると、個々の具体的な神秘思想や宗派を信じると言うより、遙かに広範な経験が「スピリチュアリテイ」の名のもとに包括されることになる。例えば、自然や芸術作品を味わう中で生じた深い感動なども含まれてくる。

 そのような、日常のすぐそばに、誰にでもある、ささやかなこころの癒しの世界への、フォーカシング技法を媒介とした手引きとして読む時、本書は身近な本になるであろう。
JUGEMテーマ:カウンセリング

田嶌誠一 著 「現実に介入しつつ心に関わる」

評価:
田嶌 誠一
金剛出版
¥ 3,990
(2009-10)
Amazonランキング: 62003位
Amazonおすすめ度:
児童養護施設内での凄まじい施設内暴力に真っ向から立ち向かう、「行動する臨床心理士」。

JUGEMテーマ:カウンセリング

  私が若い頃から声をかけてくださり、一緒に飲ませていただき、九州に戻ってからも色々相談に乗ってくださった、私にとっての、あまりにも頼もしい、「現場心理臨床の兄貴」、それが、現九州大学大学院教授の田嶌誠一先生である。

****

 この田嶌先生がカウンセラーになるまでの経歴は、田嶌先生にある程度身近に接した人の間ではすでに「田嶌伝説」として知れ渡っているであろうから、ここで公開しても何も差し支えはあるまい。

 福岡県大牟田市の三池の炭住街の生まれ。十代はそこそこ不良でした(^^)。パチプロを目指したこともあるそうです。しかし、高校時代のある時、突如心機一転して猛勉強、九大を目指します。

 そして、催眠療法や臨床動作法であまりにも著名(臨床心理士登録番号「1」)な、日本を代表する心理療法家、成瀬悟策先生門下の逸材として、最初は病院心理臨床で、重篤な患者さんとの面接のキャリアを積む中で、深い変化を静かに引きおこししつつも、患者さんの自我を危機に至らせない「安全弁」を持つ、独創的な心理療法、「壷イメージ療法」を開発。

 続いて九大で大学学生相談を担当、深刻な精神疾患、暴力や引き籠もりの学生との関係作りに、他の誰にもまねができない独創的かつ積極的なアプローチで成果を重ねます。

 引き続き、文部省のスクールカウンセラー事業の草創期に、もっとも荒れた中学校を担当、教師、家族、生徒たち全体を巻き込む「ネットワーク型アプローチ」を導入して、学校の空気そのものを一変させ、少年院送りを繰り返す水準の不良生徒たちからも卒業時には崇敬を集めるという、神がかりな活躍をなさいました。

 そして、現在取り込んでおられるのが、多くの場合、家族からの虐待からら保護された子供たちが収容される、児童養護施設内部で陰惨に繰り広がられてきた、「施設内暴力」を一掃するシステムをコーディネートすることなのです。

 日本の心理臨床の生んだ、空前の「現場で行動する臨床心理士」、それが田嶌誠一先生です。

*****

 田嶌先生の新著について、かなり前からこのブログで記事を書くとお約束しながら、私自身が急激に多忙化する中でなかなか果たせないで来ました。 

●田嶌誠一:「現実に介入しつつ心に関わる -」(金剛出版)
ISBN:978-4-7724-1103-5

 

現実に介入しつつ心に関わる―多面的援助アプローチと臨床の知恵

(楽天ブックス)

 講演記録を元に、新たに書き下ろされた、児童施設内の暴力問題への対応についてを中心主題とする、本書冒頭の「総論に代えて 現実に介入しつつ、心に関わる」以外の論考は、その大半について、先生が最初に学会発表されたその場に臨席もしたし、学会誌でお読みしている。

 冒頭の章の概要そのものも、先述の記事で書いたように、先生に直接お会いする機会を持たせていただいた時にうかがっている。

 今回、実際の著作の内容と照合しても、その内容の最低限のイントロダクションの意味は、すでにあると思えたので、ご参照下されば幸いである。

*****

 そういう意味で、「ライブ田嶌」先生からすでにうかがった内容のほうが私の中で大きなインパクトを占め過ぎているために、どうもこのご著書の内容を改めて客観的に概説するとなると、私は心境的にちょっと重荷になりすぎる。

 ただ、申し上げたいのは、先述の、今回書き下ろされた、冒頭の「総論に代えて」の持つ、凄まじいまでのインパクトと、そこに示された先生の決然たる問題提起だけは、是非、多くのカウンセラーの皆様に、是非、実際に目を通していただきたい。

 ・・・・こんなカウンセラーが、この世にいるのである。

*****

 いくつか、この「はじがき」と最初の章から、田嶌先生の言葉を、アフォリズム的に拾い上げてご紹介することとします:

=======以下引用========

 「私は、当事者のニーズの応えること、そしてできればもっとも切実なニーズに応えることを心がけてきたつもりである」(p.5)

 「現場のニーズを、『汲み取る、引き出す、応える』ためには、心理臨床家が従来のようにもっぱら心の内面や深層に関わるという姿勢(それも必要ですが)のみでは不十分で、『現実に介入しつつ心に関わる』とそれに基づく他面的アプローチが必要となります。これは、心理臨床が生き残れるかどうか、換言すれば心理臨床が社会に貢献できるかどうかに関わる重要なことだと私は考えています」(p.12)

 「しばしば間違えるのは、学校の先生と保護者とが『原因は何でしょう』と話し合うことです(中略)。すると、お互い内心は『こいつだな』と思っているわけです。そうすると、連携がちっともうまくいきません。
 それよりも、この子が元気になるために学校に何ができるか、保護者に何ができるか、それを一緒に話し合うというスタンスでいきますと、割合、無難な対応ができます。(中略)
 保護者の力、担任の先生の力、生徒たちの力、そして相談に乗った私と、いろいろな人がネットワークを活用してその子の援助をしていくという形になります。これが『ネットワーク活用型援助』です。心の内面だけではなく、現実に介入していくわけですね」(pp.18-9)

 「[まずは]いじめという現実がなくならないといけない。その解決は、いじめが沈静化する必要がある。完全な解決かどうかはともかく、とりあえずいじめがなくなる[ように、その学校内のネットワーク・システムに介入する]。その後、本人の心を扱うという形をとる。これが『現実に介入しつつ、心に関わる』ということの例のひとつですね」(p.19)

 「このように、いじめなどがそうですが、必ずしも本人が変わるべきではなく、周囲が変わるべきである場合もあると考えるようになりました(中略)。今では問題は、『主体と環境の関係』だというふうに言っています。主体と環境、つまり、内的環境と外的環境があって、その心、内面の問題は内的環境との関わりの問題なのだろうと考えるようになりました」(pp.19-20)

 「大事なのは、『個人の心理や病理』だけではなく[学校や地域の]『ネットワークの見立て』どということを強調しているわけです」(p.20)

 「[施設内暴力]に加担した加害児のうちのひとりは、1,2年前まではそのボスからおしっこを飲まされたり、散々いたぶられています。つまり、かつての被害児が加害児童になっているわけです」(p.25)

 「施設では多くの場合、[マズローの言う]『安全欲求』が満たされていないわけです。これは成長の基盤です。だから[まずは、施設内での]暴力をなくさないといけない。しかしこの理屈が意外と臨床心理の人に通りが悪かったんです。つまり、こどもたちが暴力を振るうのは、心の傷があって、それをケアすることが大事なんだという発想が強すぎて、理解が進まないんですね。心のケアは大事だけど、その前に、暴力を使わないで暴力をきちんと抑えるということが必要です」(p.27)

 「それらの問題行動は、過去の虐待や苛酷な教育環境への反応として、反応性愛着障害や発達障害の兆候として理解されてきたように思います。(中略)
 しかし、それらの問題行動は、子供間暴力(児童間暴力)や職員からの暴力等の、その子が現在[施設内で]置かれている状況への反応である可能性があるということになります。(中略)入所前に受けた虐待が主なる原因ではない」(p.27)

 「『愛着』や『トラウマ』関係のどの本でも、安心・安全が重要であると述べられていますが、その安心・安全を施設で実現していくことがいかに大変なことか、どうやって実現していったらいいかということが、まったくといっていいいほど言及されていないのです」(p.37)

 「[施設内暴力という問題それ自体に対する]専門家によるネグレクト、大人によるネグレクト、そして社会によるネグレクト」(p.38)

 「私は臨床家ですから、『告発者』としてではなく、外部から援助者として現場にうまく入らないとならない。そのためには、大変なエネルギーと技術が必要です。しばしば、「志は高く、腰は低く」という姿勢が必要です。そして問題を発見して、解決システムを模索して考案していくという順序になります(p.39)

======引用終わり=====

 田嶌先生が全国の児童養護施設に提案し続けている「安全委員会」システムとはどのようなものかについては、ネットでの情報などでは済ませずに、是非、実際に本書をお読み下さい!!

 なお、こうした被虐待児を一箇所に百名以上収容する施設など、欧米には存在しないとのこと。だから、解決策には輸入できるモデルなんてないそうです。

 「里親制度」・・・・欧米は基本的にそっちなんですね。

 日本にも里親制度はありますが、時折、里親自体からの子供への陰惨な暴力がマスコミ記事になることはたいへん痛ましいことです。里親と子供への、地域の個別の公的サポート(監視)体制が不十分すぎるんですよね。


「砂の器」(1974年公開の映画)

評価:
---
松竹
¥ 2,190
(2009-09-26)
コメント:ここまで、これでもか、これでもかと泣かせる映画があろうか。私の最も大好きな日本映画のひとつである。
Amazonランキング: 1261位
Amazonおすすめ度:
原作、そして陰の主役である音楽
原作本を読んでからね
不朽の名作

JUGEMテーマ:映画

 中学生時代、封切りの時に、学校全体で映画館借り切りで観たのですが、会場全体から女子生徒のすすり泣きの声がこだまするという、一種異様な空間になってしまい、映画館をで出た後の近くの公園でも、みんなが一種放心状態でたたずんでいたことが忘れられません。

 犯人である加藤剛が作曲家、が自作を初演する演奏会のシーンと、警察での捜査会議の中での報告、そしてそれをナレーションとする形で、犯人の幼少期の不 幸な放浪の旅が日本各地の美しい自然・・・特に荒海の日本海をバックにクロスカッティングしながら、もう、これでもか、これでもかと盛り上げていく数十分 は、ある意味でドラマチックな煽情性の極致なんですけど、やはり忘れられない日本映画の傑作ではないでしょうか。 

バリント著「治療論からみた退行(Basic Fault)」

評価:
---
金剛出版
¥ 5,040
(1978-12-05)
コメント:日本では土井健郎先生の「甘え」理論の紹介者としてばかり名高いバリントだが、その精神療法の集大成は本書である。私の最も敬愛する精神療法についての著作としての位置は揺るぎない。
Amazonランキング: 250186位

JUGEMテーマ:カウンセリング

 ハンガリーに生まれ、フィレンツィに師事し、その後ドイツに渡り、更にイギリスに移住した、精神分析的対象関係論の大家、マイクル・バリント(ハンガリー読みにすると、姓と名が日本と同じで逆転するので「バーリント・ミハイー」)は、日本ではもっぱら故・土井健郎先生の「甘え」理論を国際的に紹介し、「甘え」理論との類似性で「一次的対象愛」という概念が精神分析系の専門家の間で人口に膾炙しているに留まる。

 しかし、バリントの真の集大成、主著というべき著作は、中井久夫先生の、もはや「原著を越えた超訳」とまで呼ばれる邦訳で、知る人ぞ知る、「治療論からみた退行」(原題:"Basic Fault")である。

マイクル・バリント/治療論からみた退行

 今、「超訳」と申し上げて置きながら、いきなりこのことに言及するのは気が引けるが、中井先生と縁が深い山中康裕先生が、たしか雑誌「こころの科学」で本書を紹介するにあたって、中井先生が、"Basic Fault"を「基底欠損」と訳し、その訳語が日本で普及してしまったことに対してだけは、敢えて唯一注文をつけておられる。

 山中先生曰く、「"fault"というのは地学でいう『断層』のことであり、何かが『欠けて』いるというのとは随分ニュアンスが異なるのではないか」。

・・・・ ごもっともな指摘である。

 「基底欠損(Basic Fault)」という概念を一言で説明するのはたいへん難しい。日本ではそれをまるでボーダーライン的心性と同一視するかのような理解がされがちだったように思う。

 確かに、バリントは本書の中で、「基底欠損」を、プレ・エディプス期の問題として位置づけてはいる。しかし、その切り込み方が、メラニー・クラインとも、マーラーの分離個体化理論を援用したマスターソン(「青年期境界例の治療」)とも異なる、独自の視点を持っている。

 私のみたところ、「基底欠損」の理論は、単なるボーダーライン性よりも幅広い現象を内包しているように思える。控えめにみても共通部分を持った、すっかりとは重なり合わないベン図のような構造になるのではなかろうか?

 バリントは、ウィニコットと共に、アンナ・フロイトの創始した「自我心理学」とも、「クライン正統派」とも一定の距離を維持する「独立学派」のひとりと呼ばれる。

 確かにウィニコットとの接点はたいへん大きい(それどころかビオンとの接点ですらバリントは本書で明言している!)。そして本書の「仮想敵」は、後述するように明確にメラニー・クラインであり、クラインへの批判に紙数を割きすぎたのが、少なくとも日本人の読者にはまどろっこしいのではないかと、訳者の中井先生ご自身が解説で感想を漏らしておられる。

 だが、ウィニコットの諸著作が日本でも熱心に読まれるのに比べると、バリントが本書で展開した独自の理論と治療的示唆に関心を持つ人は少数派であろう。

 そうなった最大の原因は、バリントがすでに先行する著作、「スリルと退行」の中で確立していた独自の新造語、オクノフィリアフィロバティズムという概念が、本書においても、更に発展された形で鍵概念とされていることが一見難解だと感じさせられることが大きいかと思う。

マイクル・バリント/スリルと退行

*****

 この2つの鍵概念についての概説に入る前に、バリントがなぜクライン理論にあそこまで反発したかという、本書の前半で展開される内容について私なりに概説したい。

 クラインやウィニコット、バリントは、神経症より重篤な事例に関連して、フロイト以降に展開され、プレ・エディプス期の早期対象関係を重視した、広い意味での「精神分析的対象関係論」に属することには変わりがない。

 広義の「対象関係論」とは、噛み砕いていえば、現実の「外的」他者の態度の摂り入れ(introjection)としてのみ人の自我形成過程をとらえるのではなく、個人内部での、一種の内的ファンタジーとしての「内的な」他者=「内的対象」との関係形成過程を重視する立場である。

 こうした観点は、実はフロイト自身もある程度予見し、示唆していたことでもある。そして何よりユングが「内なる他者」としてのアニマ・アニムス・影などとの交流過程を重視した先達なのだが、どうも対象関係論の人たちは、ユングを先達とみなすことは回避する傾向があるようだ。

 しかし、クライン正統派の場合、現実世界に存在する「外的対象」としての養育者の持つ意味が明確化されない「独我論」ではないかという批判は早くから生じた。

 そこで、ウィニコットは「内なる養育者」との関係と、「外的な他者」との関係を統合的に説明しようといいう方向性を強く打ち出し「錯覚(illusion)」「脱錯覚(disillusion)」という概念を巧妙に媒介とし、幼児の外界との一体化という「錯覚」に巧妙に応える時期から、次第にそれを遅延化させ、「脱錯覚」へと導き、信頼できる他者との成熟した関係性を確立する上での"good enough mothering"=「そこそこいい養育者」、あるいは「環境としての養育者」についての理論、あるいは養育者自身の代理、他者との継続的な関係性の媒介物ともいえる「移行対象」の理論、あるいは、親密な他者と共にいながら、それぞれが自分の世界に没頭できる能力形成が果たす役割を表現するための逆説的概念、「ひとりでいられる能力(ability to be alone)」、そして、ここでは概説しないが、「遊ぶこと(playing)」が治療関係で持つ意味などを次々に考察した。

 ウィニコットのこれらの最重要理論のほとんどは、

情緒発達の精神分析理論―自我の芽ばえと母なるもの (現代精神分析双書 第 2期第2巻)

遊ぶことと現実 (現代精神分析双書 第 2期第4巻)

・・・・この2冊だけで掌握可能である。

 バリントは、ウィニコットとは別の切り口から、プレ・エディプス段階における「内的対象関係」と「外的な他者との関係性」が果たす役割について統合的に考察しようとしたのである。

 このようにして、正統クライン派とも一線を画することをはっきり表明した分析家の一群を、フロイト以降の精神分析の領域で、狭義の「対象関係学派」あるいは「独立学派」と呼ぶ。

*****

 さて、前置きが非常に長くなったが、いよいよバリントの中核概念である「フィロバティズム」と「オクノフィリア」について概説しよう。

 バリントがクラインを批判する最大の立脚点は、「対象(object)」という概念それ自体にある。クライン理論は、対象関係=他者との関係を、まるで真空の中に浮かんでいる完全に自主独立した二つの固形的「物体」との間の相互作用のようにとらえているのではないか? 「対象(object)という概念それ自体の中に"objection"=「反発性がある」、輪郭が鮮明な「固体」的なものという含意があることにバリントは注目する。

 我々は、成熟してから後ですらも、ある意味で「前-対象(pre-object)」的な係わり合いの中にしか生きていないのではないか。ここでいう「前-対象」とは、バリントにおいては、もはや人間以外のすべての諸事象との関わり全般にまで拡張される。

 つまり、世界の諸事象と「調和的=相互浸透的渾然体」として融合されたあり方でしか存在していないという側面を背景として、現実の他者との関わりも考えるべきであるというのがバリントの視点である。

 そもそも「空気」がなければ人間は窒息することなど、普段は忘れているではないか?

 「魚とって、エラの中に存在する水が果たして『環界』なのか、魚の『内部環境』なのかを問うことに何の意味があるのだ?」と。

 これは「独立した自我を持つ主体」同士の交流を成熟した対人関係様式としてとらえる、欧米的な個人主義的な自我観を自明の前提としている人たちにとっては、何とも難解でぶっ飛んだ論の進め方に感じられたであろう。欧米で、正確に理解できた精神分析流域の専門家は稀れではなかったと推測できる。

 しかし、バリントには、東洋的な色合いも強く残した故国ハンガリーの血への基本的な共感が失われてはいなかったのだろう。

 人も万物もすべて同じ地平で眺めるという、非キリスト教的(いや、ユダヤ教やイスラム教にもそうした視点はない)=異教的な感性が脈々と受け継がれていたのであろう。

 ところが、数学・物理学・経済学の分野で名高いフォン・ノイマンをはじめとする数々のノーベル賞級科学者、科学哲学者ポランニから、指揮者(ライナー、セル、ショルティ、ドラ ティ)・作曲家(バルトーク)・音楽家(ブダペスト弦楽四重奏団)まで、非常に優秀な人材を一気に輩出した、第1次世界大戦後の長期にわたる度重なるハン ガリー動乱の連続(1918-1956)の下での亡命ハンガリー人の知的階級の多くは、異国のでサバイバルのために、非常にタイトで厳格な方向のにのみ自分の技能を研ぎ澄ますところがあった気がする。クラインもその一人であろう。

 バリントがその道を歩まなかったのは、師、フィレンツィが、フロイトの時間厳守、中立性の原則を打ち破り、ついには心労で命を縮めた治療法の潜在的可能性を引き継いで完成させることを生涯の使命としたことが大きいようである。

*****

 さて、プレ・エディプス期において問題があった人="Basic Fault"を潜在的に抱えた人は、治療的面接場面が進むと、独特の退行様式を取り始める。

 それが「オクノフィリア」と呼ばれる現象である。

 オクノフォリアは、対象との全き融合の幻想が維持されることを求める。しかもその際に、対象と自分の間に「空隙」があることを「恐怖」する(「オクノフィリア」というギリシャ語をバリントが創出した背景)。

 その結果、対象が、自分の欲求を絶えず気遣い、先回り的に配慮してくれて「あたかも鍵穴に鍵をぴったり合わせてくれるように」対応してくれないと我慢がならないという状態になり、治療者を徹底的に翻弄する。そこにはすでに「通常の成人言語水準でのやりとり」は無力化する。

 治療場面のみならず、家族など親密な関係を持つ人物相手に、こうしたオクノフィリア的心性を顕わにする人たちは決して稀れではない。子供が少しでも「気が利かない」と逆上し、子供をいつまでたっても自分を補完する存在としてしか取り扱わない親など典型であろう。こうした親は、実は子供の方に際限なく「甘えて」いる現実に無自覚なままなのである。

*****

 ところが、この世には、「世界との完全な調和的一体感」を指向する点ではオクノフィリアと同じだが、全く正反対のアプローチを身につけた一群の人たちがいる。

 その人たちは、自らの持てる身体的技能(skill)を極限まで磨き上げ、古代ギリシャ以来「四大元素」と呼ばれたもの、すなわち「地(土)・水・火・風(空気)」をすべて自分の味方につけたかのような錯覚と万能感の中に生きている。

 これら4つの対象は、輪郭がはっきりせず、自由に形状を変容させ、対象を「包み込む」ことができるという点に特徴がある。

 典型的なのは、飛行機乗りやレーサーを一方の極とするスポーツ選手、演奏家、曲芸師などであろう。

 私流に言えば、「キャプテン翼」の「ボールは友だち」の世界である。「自分が」ボールを巧みに操っているのではない。「ボールの方が(そしてそれを包む空気やクラウンドの土の状態が)、まるで自分に『協力してくれている』かのような錯覚の世界にある。

 彼らにとっては、世界とは自分にとって「友好的な拡がり(frendly expanses)」として通常は機能してくれる。

 一般の人からすると危険でスリリングすぎる活動に身を投じることこそ、彼らの生の充実感、世界との一体感を支えている。中途半端なややこしい「社交的な」関係なんてほんとうはできるだけ回避したいくらいなのだ。

 (もっとも、フィロバティックな心性を持つ人の中にもオクノフィリア的心性は存在することをバリントは言い忘れてはいない。安心して深い絆を形成できる人物に「見守って」いてもらえていることが支えとなっていることが多いというのだ)

 一芸に秀でたスキルで世を渡っていくという点からすれば、非常に幅広い職種の人が含まれることだろう。アニメーターだって、ある意味ではカウンセラーだってその種の人間であろう。

 このような存在のあり方を「フィロバティズム」と呼ぶ。

 フィロバティズムを生きる人にも弱みはある。自分のスキルに故障が出た時。心身が燃え尽きた時。あるいは突然の気象の変化や機器の故障が生じた時、彼らは失調するばかりか「事故死」の危険と隣りあわせということにもなるのだ。

 自らが死や破滅と隣り合わせの生き方をしていることに、誰よりもフィロバティズムを生きる人たち自身が気がついている。それゆえに、安心してくつろげる、気の置けない対人関係も、限られた人たちとでいいいから大事にしようとするはずだと、私は思う。

*****

さて、バリントが、治療関係において必要なのはどういう関係であるかについて述べた部分を引用して終わりとしたい:

========引用はじめ========

 分析の場における沈黙の意味には二つあるだろうということには皆同意していただけると思う。ひとつは恐ろしい空虚という戦慄的な体験をしている場合である。空虚は疑惑に満ち、敵意に満ち、拒絶に満ち、攻撃性に満ちている。前進を阻む沈黙であり、結局不毛に終わる沈黙である。しかしまた、沈黙がおだやかな静かな調和体験の場合もある。平和と信頼と受容という雰囲気である。つまりおだやかな成長の時期、統合の時期でもありうるのだ。分析家にもっとも必要なのは、今向かいあっている沈黙がどちらの型なのかを識別することである。

 フィロバティズム的偏向をもつ技法においては、おそらく、解釈をわずかしか用いないだろう。特に退行した患者に対する時はそうなるだろう。分析者はたえず患者を見て、[次の]どちらの態度をとるべきか考えるだろう。すなわち、個別的な対象の役割をとり、退行した患者を安全な距離が見守り、この冷静で客観的な視座からことばで綴った解釈を与えて理解を求めるのがよいのか、あるいは自分も「友好的広がり」の一部と化して、何一つ要求せず、ただ息をしているだけの存在としてあり、患者に欲求が起こればさっそく役に立とうとする構えだけは持ちつづけるのがよいのかを考えるのである。(中略) 最大の危険は、この技法が患者にあまりに多くをゆだね、早すぎる時期に大きすぎる独立性を押しつけることであろう。 (中略)

 [もう]ひとつはオクノフォリックな方法であって「患者の手をとって」ゆく方法である。どうしてこの動きをしてあの動きをしなかったのかを一貫性を以て解釈してゆくことである。ここに内在する危機としては、患者が分析家を理想化してこれを寛大で慈愛こもった人物として取り入れるように誘導する恐れがある。こうなると患者の自由が制限されて、理想化された対象が処方し許容してくれる範囲から出られなくなってしまう。

 自由とは、私の考えでは「友好的広がり」の再発見のことである。それはフィロバティックな世界の中にあって、成人的なスキルを身に付けることを要求するものであるが、その背後には、何も要求せずに抱きかかえてくれる一次愛の世界が控えている。誤解されると困るので、「友好的広がり」の再発見があらゆる対象を完全にあきらめることを意味するものではないことを言っておかねばならない。

 そうではなくて、それはただ、[オクノフォリックな]絶望的なしがみつきをやめて対象から一定の距離を置いて独りで立つ能力すなわちスキルを身につけるだけのことであり、そしてそうすることは対象を「正しい釣り合いにおいて」眺め、「真のパースペクティヴ」の中で対象を獲得するために必要なのである。

 新規蒔き直し(new beginning)時期における分析者の役割は、多くの点で一次物質あるいは一次対象の役割に似ている。分析者は存在していなければならない。分析者は高度に可塑的でなければならない。あまり抵抗してはならない。破壊不能性を示さねばならない。これは確かなことだ。また一種の相互滲透的調和渾然体の中で分析者と共に生きることを患者に許容しなければならない。(中略) おおよそ、友好的物質という、一点の曇りない調和体だけがあり、その中から対象が成立する以前の体験である。

 [退行の]良性形では、患者はさほど外的行動[を治療者に「してもらう」こと]による満足を求めず、それよりも外的世界を活用して自己の内面の問題に前途の途がひらけること、私の患者のことばを借りれば”自分自身に到達できるようになること”をそっと認めていてほしいと希う。(中略)

 認識されるための退行(中略)では、あたかも大地や水が己れの体重を安んじてあずける者を支え返してくれるように、患者を受容し支え荷うことを引き受ける周囲の人々のいることが前提である。物質としての治療者は抵抗してはならない。引き受けねばならない。あまり摩擦を起こしてはならない。患者をある期間受容し荷い、自分は潰れないことを示さねばならぬ。境界線を越えないぞとつれなく言い通してはならない。患者と自分との一種の渾然体の発生展開をゆるさねばならない。

 以上はすべて、患者に同意し、関与し、巻き込まれることを意味するが、必ずしも具体的働きかけをする意味ではない。ただ理解と寛容だけでよい。ほんとうに大事なのは患者の内面つまりその心の中でさまざまの出来事が生じうる条件を維持し創造することだ。[分析者は患者を積極的に荷おうとはせずに、水が泳ぐ人を支え、大地が歩む人を支える具合に荷い支えるべきであるということ。すなわち患者のために存在し、またそうされることにあまり抵抗を感じないで患者に使用されることである。

 我々は立居振舞(behavior)、空気(climate)、雰囲気(atmosphere)などのことばを使うが、これらは皆、漠然としたカスミのかかったような、画然たる境界を欠くものを指すことばで、(中略)にもかかわらず”雰囲気””空気”というものは存在し、感じ取られ、しばしばことばでの表現を要しない。(中略)

 ”洞察”とは的を得た解釈の結果生まれるものだが、洞察が生まれるにふさわしい対象関係が創出されたならば、その結果は一種の”感じ(feeling)”である。

 ”洞察(insight)”が視覚と対応するとすれば”感じ(feeling)”は触覚と対応する。すなわち一次関係かさもなくばオクノフィリアである。

 ある一種類の対象関係に硬直的に固執すべきではなく、いつでも患者とともにオクノフィリア的とフィロバティズム的の両原始世界を往復する心構えが必要であり、時には両世界の彼方の一次関係まで行く心構えがなければならない。(中略)

 解釈は、分析者が「患者は確かに解釈を求めている」と確信できる時に限り与えるべきものである。こういう時に解釈を与えないことを不当な要求あるいは刺激と感じるだろうからである。(中略)

 仮に分析者が以上の条件の大部分を留保ぬきで誠実に満たすことができれば、ここに新しい関係が生まれ、それによって、患者は、自己の精神構造の欠損あるいは瘢痕形成の原因となったそもそもの欠陥と喪失の悔みと悼みをある形で体験できるようになる。その悼みは、現実に愛する人の喪失や、内的対象への打撃あるいはその破壊という、メランコリー[抑うつポジション]特有の事態が原因で生じる悼みとは全然別物である。

 私がいま頭に抱いている悔み悼みとは、自分自身の中に欠陥・欠損があるという動かしえない事実に対する悔みであり悼みである。(原注:この悼みは、元来基底欠損に対する過剰代償として生じたらしいナルシシズム的自己像を断念すること[こういちろう注:世界との、他者との全き調和の断念。自己のスキルに対する万能感の断念…とも読解できよう]と関連した悼みである。(中略)

  分析者がこの悼みのための時間を焦らずに十分長くとり、またその間、必須の原初的雰囲気を寛容と干渉的でない解釈によって維持できるならば、患者と分析者の共同作業の仕方は以前とは少しずつ変わってくる。それは、まるで、患者が対象との関係における自己の位置付けを進んでやり直し、自己の周囲の、魅力を欠き冷淡なことの少なくない世界を受容できないかと考え直そうとし、またその力が出てきた気がしはじめたことを思わせるような変化である。

========引用おわり========


「フォーカシング事始め」(村瀬孝雄・日笠摩子・近田輝行・阿世賀浩一郎 共著)

評価:
村瀬 孝雄
日本・精神技術研究所
---
(1996-01)
コメント:私自身が共著者の本ですが、中古市場でもさほど高すぎない水準で入手できます。アン・ワイザー法フォーカシングが日本に本格的に紹介された黎明期、私にとっても「フォーカシングの青春時代」の大事な遺産。今でも内容は古びていないという自負はあります。
Amazonランキング: 709756位

  私自身が共著者の一人として名前を連ねて1章だけ書いているので、ご紹介するのは少し恥ずかしいのですけれども、それでもやはり、日本(特に関東地区)におけるフォーカシングの普及において、ひとつのターニング・ポイントになった本だと思いますので。

 それはどういうことかといいますと、本書が刊行(1995年)された少し前、フォーカシングの有力なトレーナーであるアン・ワイザー・コーネル女史が初来日され、ワークショップを開催しました。その時の実習と、当時ワークショップ参加者だけが購入できたアンさん独自の技法マニュアル(それが後に刊行されたものが、あの「入門マニュアル」「ガイド・マニュアル」です)を元に、東京の日精研などを舞台として、恩師、故・村瀬孝雄先生や日笠摩子さん、近田輝行さんたちと共に、そのアンさんの技法を自己掌中のものにするべく勉強会を重ねました。

 そうした中で、村瀬先生の立案で、アン・ワイザー法を詳しく具体的に紹介することに大部を割いた本を4人で1冊書くことになったのです。

 つまり、本書は、日本における、公刊された、アン・ワイザー法フォーカシング「事始め」でもあるのですね。

 日本フォーカシング協会設立の、少し前の時期のことです。

フォーカシング事始め―こころとからだにきく方法

●神田橋條治先生による本書の書評(「精神療法」誌 第22巻 3号掲載)

******

 次に、本書の目次をご紹介します。

  1. フォーカシングとは?(村瀬孝雄)
  2. フォーカシングの不思議な力(村瀬孝雄)
  3. 熟練した2人のガイドとのフォーカシング経験(日笠摩子)
  4. あるワークショップの記録(村瀬孝雄)
  5. フォーカシングを実際にやってみるために(日笠摩子)
  6. フォーカシングQ & A(村瀬孝雄・日笠摩子)
  7. フォーカシングの歴史と理論(村瀬孝雄)
  8. フォーカシングの諸相と日本・世界の現況(村瀬孝雄)
  9. カウンセラーがフォーカシングを学ぶことの意味(近田輝行)
  10. フォーカシングの「臨床適用」について(阿世賀浩一郎)
  11. 補章:谷川俊太郎の詩 「きもち」を借りてフォーカシングを解説する(村瀬孝雄)
  12. フォーカシングについてもう少し知りたい人のために(村瀬孝雄)

*****

 その後、私たちは、後続するジェンドリンや奥様のメアリー・ヘンドリックス(The Focusing Institute 現CEO)、アン・ワイザー、エルフィー・ヒンターコフ、ジャネット・クライン、ケビン・マケベニュ、バラ・ジェイソンらの著書や論文、ワークショップ(邦訳はありませんが、メアリー・マクガイア、ドラリー・グリンドラーをはじめとする人たちによる、重篤事例についての重要な論文があります)からさらに 多くのことを学び、日本国内でワークショップ・セミナー・研究会を仲間たちと実施したり、それぞれの臨床・教育現場の中での適用を模索する中で、更に研鑽を積んで行きました。

 しかし、今回、本書を久しぶりに読み返してみたのですが、(自画自賛じみて申し訳ありませんが)、よくもまあ、この段階で、ここまでフォーカシングの当時最先端の潮流を咀嚼し、広範囲の視点から総合的にご紹介できていたなと、ほっと胸をなでおろした次第です。

 私たちの「フォーカシングの青春時代」は無駄ではなかった(^^)・・・・まだ、古くなってないです。

*****

 本書の中の白眉のひとつは、日笠さんが苦心の末に編み出した、当時のアン・ワイザー法に基づく「フォーカシング・フローチャート」(p.pp.124-6)でしょう。このフローチャートを観てみるだけのためですら、本書を借り出したり、購入する価値があるかもしれません。

 ジェンドリン自身のオリジナルのフォーカシング技法が、単純に要約された、せいぜい1,2ページのマニュアルとして配布され、「それがフォーカシングというもの」と学習者に思い込まれてしまって伝播したことの最大の弊害は、フォーカシングの手順というものを、「空間づくり」にはじまり、「フェルトセンスをつかむ」→「手がかりとなる言葉やイメージを見つける」→「見出した言葉やイメージが実感にぴったりかどうか共鳴させる」→「フェルトセンスに問いかける」→「受け止める」という段取りを、順序だてて進めたときにはじめてフォーカシングしていたことになる・・・かのような誤解を広め、それでは思うように成果が上がらないと諦められてしまう事態を招いたことでした。

 (このことが、ジェンドリンも望まない事態で、もっと柔軟な適用が肝心であることについては、ジェンドリン自身の著作、「フォーカシング」を丁寧に読み解けば、繰り返し説かれていることなのですが)

 アンさんは、ジェンドリンの技法をベースにしながらも、それをわかりやすくて「勘所」を明確にした「5つのステップと5つのスキル」に再構成しました。

 その結果、気がかりな「事柄」からであろうと、その時の漠然とした「身体の感じ」からであろうと、柔軟にフォーカシングを始められるばかりか、内側から生じてきたものは取りあえずなんでも「認めてあげる(acknowledging)」ことと、フェルトセンスから性急な言語化を引き出さないまま 「共にいる」ことを重視する丁寧でかゆいところに手が届くものとなりました。

 この「認めてあげる」や「共にいる」は、実はセッションの最中のいたるところで提案される教示なので、実は番号を振って直線的に順序だてて説明することになじみにくいところがあります。

 更に、フェルトセンスから「遠すぎる(too distance)」状態になった人と、「近すぎる(too closed)」状態になった人(アンさんのいうフェルトセンスを「脱同一化(disidentification)」して感じられる状態が程よく維持できないという点では、どちらの事態も共通です)への臨機応変な介入も必要です。

 これらをすべて表現しようとすれば、もはやフローチャート形式をとって空間的な表現にして、必要あればあっちに行ったりこっちに戻ったりということを一望できる図版にするしかない。

 日笠さんを中心とした人たちが取り組んだこの「図版化」は、アンさんの技法書のどこにも出てこないオリジナリティあふれるもので、これがアンさん来日2年目で達成されたことは、再評価されてしかるべきと思っています。

 (アンさんの技法体系そのものも、その後進化を続けていますが、この段階でのアン・ワイザー法の、几帳面な丁寧さのプラス面は、フォーカシングを「意図的なスキル」として緻密にトレーニングする場においては、決して過去のものにされてはならないというのが私の信念です。このフローチャートは、私の主催するささやかなグループでの恒例の配布資料で、現在もあり続けています(^^)) 

*****

 さて、私が執筆した第10章ですが、のっけから「臨床家自身がフォーカシングを身につけ、日常の中で役立てられていないうちは、臨床現場での適用なんていうことは考えない方がいいのでは?」という、不遜なまでに挑発的なメッセージからはじまっています。

 さすがに若気の至りではなかったかなと、その後多少自己嫌悪に襲われ、長らく読み返さないでいたのですが(^^;)、本書刊行から14年を経て、一読者の心境で客観的に読み返してみたところ・・・・ほっとしました。私なりに十分にジェントルで丁寧な語り口で書けている。

 (つい最近、認知行動療法の大家、伊藤絵美先生が、これからCBTを学ぶ専門家への心構えとして、実にそっくりの表現を、著作でなさっているのに気がつき、安堵したというのあります)

 そして、当時はジェンドリンが書きつつある「フォーカシング指向心理療法」のdraftを村瀬先生によって手渡されて、その一部を読み解くぐらいの段階でしたが、私がその時点で言葉にできた「臨床現場でフォーカシングをどのように生かすか」という方向性に、その後ブレはなかった、完全に今日の私のスタイルへと繋がっていると確信できました。

*****

 更に、この私の書いた章、さすがアニメおたくカウンセラーこういちろうですね(^^;)、私自身すっかり忘れていたのですが、次のような部分がありました(pp.241-2):

========引用はじめ=========

 このようなクライエントさんたちにとっては、自分が「どんな」感じでいるのかついて語ることは、まだサナギの状態でしかいられない昆虫が、請求に脱皮を急がされたような外傷体験に容易に結びついてしまう危険があるのです。・・・最近(95年7月)、「風の谷のナウシカ」等で有名な宮崎駿氏らスタジオジブリ制作による長編アニメ、「耳をすませば」が封切られ、映画館でご覧になった方も少なくないかと思いますが、この映画の中で、主人公の月島雫(しずく)という中学生の少女が、留学した恋人が日本に戻るまでに、自分もなにかをやり遂げよう と一大決心をして、受験勉強を投げ出して、寝食を忘れてファンタジー小説の執筆に打ち込む展開があります。

 憔悴して眠り込んだ雫は、ある悪夢にうなされます。鉱脈の中の壁一面が原石でできた洞窟の中で、ほんとうに輝くただひとつの純粋なエメラルドを見つけ出そうと焦って探し回るけれども、なかなか見つからない。これぞと思って壁から抜き取った石は最初は 光り輝くかに見えました。しかし次の瞬間にその石は、雫の手のひらの中で、まだ卵からかえっていないヒナの死体へと変容するのです。

 悲鳴rと共に飛び起きる雫。目の前には一向に進まない、破り捨てた書きかけの原稿用紙の山があります。

 映画の中の雫の場合には、物語をともかくも書き上げるだけの自我の強さと、そうした彼女を理解して見守る幾人かの周囲の人たちのまなざしがあったから救われたのですが、私たちが現実の臨床現場の中で出会うクライエントの中には、まさに賽の河原で石を積んでは壊されるかのようにして、自分の中の「卵」や「サナギ」を性急に孵化させようとしては流産させることを繰り返す中で傷つき、内面をすり減らし、蟻地獄のような絶望と無力感に次第次第に沈んで行く人たちも少なくない思えます。

 むしろそうしたクライエントさんたちにまず必要なのは、自分なりにさなぎ(繭)をつくって、その内部で成長と分化が暗黙のうちに進展するのを見守ることが許されるような治療的な場の保障と関係性ではないでしょうか。

 すなわち、彼ら/彼女らは、まずは、自分たちの中にうごめく形(言葉)にならない混沌が、自分を破壊する可能性がある脅威ではないという安心感を抱けるように徐々になれる治療的な場を保障してもらえる必要があるように思います。

 そして、その言葉にならない混沌を、いとおしみながら育み育てるための子宮的な空間を、自分の身体の内部や外部に安定した形で確保できる自分なりの工夫を見出せるようにサポートされるべきです。

 (これが、本書でもすでに第5章で示した、アン・ワイザー女史の言う、フェルトセンスと「一緒にいる」ということにあたります)

========引用おわり=========

耳をすませば [DVD]

(楽天ブックス)


JUGEMテーマ:カウンセリング



書評 : 鎌田實 著「言葉で治療する」

評価:
鎌田 實
朝日新聞出版
¥ 1,260
(2009-11-06)
コメント:この本は狭義の精神医学やカウンセリングについての本ではないのだ。だが、医療現場や援助的専門職全般に携わる人必読だと思う。
Amazonランキング: 1755位

  精神科医の中井久夫氏によると、精神分析医のバリントがウィニコットのどちらか(失念したまま、典拠を見つけ出せないままでいる)が、「医者という名の薬」ということを言っているという。

 中井氏ご自身、著作集第5巻「病者と社会」収録の、「心に働くくすりは信頼関係あってこそ効く」という短い論考(pp.163-8)で、

「医師への信頼関係があれば少量で効くし、量が増えない。不安を抑えるくすりを不安な状況で飲むのが得策でないのはわかっていただけよう。薬への信頼は、究極には医師への信頼である」

「私は、患者が苦情をいうことが医師に対する最大の協力であると思っている」

「(患者に)苦情を言ってもらうことで次第に正しい処方に到達するものである」

と書いておられる。

病者と社会 (中井久夫著作集―精神医学の経験 第5巻)

 これは精神科の薬の処方に限るまい。医師の前では「優等生」にしかなれなくなり、実際にはたいへんだったり不安があってもそれを語れない患者さんは実に 多い。医者の側に、苦情をいわれても嫌な顔ひとつしないだけの応対の力があっても、医師と患者というのは、自分の命や身体症状を公式に預け得る唯一の「絶 対的権威」であり、「対等」ではあり得ない構造的な関係性が布置されているのだ。

 そしてそれは、精神科の薬物療法ばかりではなく、例えば救急医療やがん医療において、外科的処置が必要な場合ですら共通の問題といえるはずである。


*****

 ここで紹介する、「言葉で治療する」という本の著者、鎌田實氏は、救急医療の現場に始まり、がん病棟、救急医療、小児科をはじめとするさまざまな現場 で、医師と患者の間のコミュニケーション不全がどれだけ大きな問題を引き起こしているかに現実に関与し続けて来られたお医者様である。

 がん患者ご本人やそのご家族の実に30-40%近くがうつ状態、ないし、本格的なうつ病に陥っていることを著者は指摘する(統計によってはもっと高い数値を指摘するリサーチもあるという)。

 がん医療に力を入れているといわれる病院、ホスピスなど終末期医療に力を入れていると喧伝している病院ですら、医者の不用意な言葉が単に患者さんを傷つ けるのみならず、両者のディスコミュニケーションが、症状の変化に気づくタイミングを逸してしまうことになり、早過ぎる死に至らしめていることが疑念され るケースすら稀れではないらしい。

 その一方、万策を尽くしても患者を救い得なかった医者に対して、患者が感謝の言葉を捧げるような関係性が成立している場合も確かにあるのである。

 まだ、医療チーム内部でのコミュニケーション不足が、患者さんとの信頼関係をいかに損なうのかについてもとりあげられている。

******

 こうした状況が生じたひとつの背景には、医師不足の問題に加え、小泉政権が推し進めた社会保障費の抑制の中で、医師に限らずコメディカルなスタッフ全体が疲弊し、患者さんに丁寧な応対をする余裕を喪失させたことも大きいと著者は論じる。

 「インフォームド・コンセント」の重要性は、歯科医すら含む形で医療全体に浸透してきたはずではないかといわれるかもしれない。だが、インフォームド・ コンセントの広まりを支えて来たのは、リアリスティックにいえば、医療訴訟に対する医療側の自己防衛という側面があり、(これは私の考えだが)開業医が多 い地域では、経営的「生き残り」のために悪評を立てられたくないという側面も後押ししたのではなかろうか。

 いわゆるクレイマーやモンスターペイシェント(ペアレント、ファミリー)の問題については、鎌田氏は、

「医療現場を萎縮させ、今日の医療機器を招く一因になっていることもたしかだ。いまだにモンスターペイシェントはいることはいるが、潮の目が変わったように思う」(p.36)

と書いておられる。

******

 実はまで読み始めて3分の1だが、すでに日本人の死亡率第1位になったがん医療、そして高齢化社会で更に必要際が高まるであろう終末期医療の現場が、現 実にはこれほどまでにコミュニケーション上の課題山積であることのついては、次々と登場する実例を読んでいると呆然とした思いに駆られる。

 1998年の自殺者が3万人を越えた段階で、がんの次は自殺予防対策だという声があがりはじめて久しい。

 しかし、うつ状態(ないし気分障害)になって入院したり通院歴があるクライエントさんがほとんどを占める私の開業カウンセリングの現場で痛感するのは、 単純にお医者様を悪者にしてしまうつもりは毛頭ない(一日に50人もの患者さんの診察をするなど、欧米では考えられない状況らしい)が、患者さんとお医者 様の間でのコミュニケーションの行き違いが、症状の遷延化と、そして、「こころの支えとしての医者への信頼」を持てないまま、あちこちの病院を何年も転々 としてきた軌跡である。

 この本は、「精神科医療」についての本でも「カウンセリング」についての本でもない。しかし、底に流れるマインドは、お医者様やカウンセラーに限らず、すべての援助的専門家が自分の「現場」を振り返る上で、直面するしかない課題に気づかせてくれそうだ。

JUGEMテーマ:カウンセリング

「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」の音楽集

評価:
---
キティMME
---
(1991-06-25)
【ディスク1】
  1. ホワッツ・カミング
  2. メインテーマ・モチーフ(やすらぎ)
  3. 池のほとり
  4. ラメ色ドリーム
  5. メインテーマ・モチーフ(不安)
  6. ウィ・エクスペクト…
  7. “ビューティフル・ドリーマー”メイン・テーマ
  8. 夢邪鬼のワルツ
  9. 夜の校内捜索
  10. スターズ・ロンド
  11. ラム…イン・マイ・ドリーム
  12. 愛はブーメラン
  13. BGM 1
  14. 同 2
  15. 同 3
  16. 同 4
  17. 同 5
  18. 同 6
  19. 同 7
コメント:押井守氏の映像作家としてのとてつもない可能性を日本映画界に知らしめた、1984年(もう四半世紀経ったのか・・・)の劇場映画のBGM集。LP時代からの私の愛聴盤。今や中古市場ではプラチナCD化していますが、独立したBGMとしてもたいへん完成度が高い逸品です。
Amazonランキング: 141381位
Amazonおすすめ度:
他の方もお書きのように、アニメを越えて、映画BGM音楽として、金字塔的傑作ですよね。
復刻を期待します。
映画音楽の最高傑作!本当にすごい!

JUGEMテーマ:映画
 押井守さんの映像作家としての可能性を映画界に最初に知らしめた、私自身映画館で見た回数が二十数回という不滅の大記録(?)を持つ、あまりにも 思い入れの深い、日本のアニメ映画史上に残る不滅の金字塔というべき作品について、今回はそこで使われた音楽という観点を中心に論じてみたいと思う。

 私にとっての、もはや無自覚なまでの「お宝CD」になってしまった。LP時代から、この四半世紀(1984年作品だから、まさに25年経た)の間に、どれだけ、どれだけ聴き返したことだろう。

Beautiful_dreamer_bgm1

Beautiful_dreamer_bgm2

うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー〈映画BGM集II〉

 ↑今やプラチナ級中古CDになってしまったみたいですね(^^) 

 実は、ある時期、このBGM集は、アニメと無関係な番組で、さりげなくBGMとして、実に頻繁に使いまわされました。ですから、映画を知らない人 でも、少なくともある世代以上の人は、アニメに無関心でも、個々の曲のいくつもを実は無自覚に何回となく耳にしたことがあるはずである。

 そのくらい、「BGM」として圧倒的なまでの独立した普遍性を持つ(!)ということである。

 本編から離れた形での「BGMとしての普遍性」という表現そのものが、矛盾した逆説的表現であることは百も承知だ。

 だが、例えば、エリック・サティの「ジムノぺディ」第1番Pascal Rog? - Satie: 3 Gymnop?dies - 3 Gymnop?dies: No. 1を「聴いたことがない人はどこにもいない」ことを思い出してほしい。まさに「家具の音楽」。

 そして、この「ビューティフル・ドリーマー」の音楽は、実際にサティの作風の影響の下に(というか、押井さんの指示で意図的に?)作曲されていることも、ほぼ間違いがないだろう。

 星勝さんと、1曲だけ奥慶一さん(後者は、「魔法のスター・マジカルエミ」における、これまたフォーレそっくりの印象派的BGMが私には忘れられ ないが)作曲によるBGMは、ピアノを主軸としつつも、ここぞというところでフル・オーケストラまで動員する中心とするアコースティックと、当時のシンセ サイザーの融合と使い分けという点で、時代の先端を行く画期的なものだったはずだ。

 メインテーマ・モチーフ(やすらぎ)の、曲としての完成度の素晴らしさ。同じくメインテーマ・モチーフ(不安)の、たゆとうような、印象派的室内楽的なさりげない気品。

●urusei-yatsura ビューティフルドリーマー#4/12(YouTube)

 ↑更には、さりげないが、保健室での温泉マーク先生とサクラ先生の窮迫した対話・・・・このシーンの360度回転の繰り返しのカメラワークは、制 作当時においては、アニメ史上に残る独創的かつ画期的な映像演出だったと思う・・・・の背景で流れていた、単調な繰り返しのようでいて耳から離れない、ピ アノソロの秘曲、"Star's Rondo"。

●urusei-yatsura ビューティフルドリーマー#5/12(YouTube)

 ↑こちらは、「やすらぎ」「不安」の両モティーフの見せ場が続きますね。

●urusei-yatsura ビューティフルドリーマー#6/12(YouTube)

 ↑そして、この2つのモチーフが融合され、映画のクライマックスシーンで圧倒的な効果を発揮した、フル・オーケストラによる、ドラマチックな、"ビューティフル・ドリーマー"メインテーマ。

*****

・・・・・・ここから先はさすがに観ていない人のために。ちょうどいいところで切れてますね

 そして、映画では断片としてしか使われなかったが、全曲通して聴くと、何と心に染み入る透明で暖かい名曲だろうかという感激を禁じえない、「ラム...In My Love」。

 著作権の問題もあり、いろいろ困難が伴うのは確かだろうが、どうか、高橋留美子先生、この映画とBGM集を再び世に出すことへのご寛容を。

●うる星やつら ビューティフル・ドリーマー 予告編

Beautiful_dreamer_bgm3

 ↑ある世代のアニメファンには懐かしいでしょうから、CD内解説書の、この映画のポスター用に作られた、恐らく高田明実さん(あるいはやまざきかずおさん?)によるイラストも。

うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー [DVD]

 ・・・・・今、振り返って思い返してみると、この映画、実はシュールな装いをまといつつも、押井さんが、高橋留美子ワールドに触発されて生み出した、究極の「男女の愛の物語」だった気がする。

 それが、原作の高橋留美子先生の感性とはいかに異質だったとしてもね(^^)

*****

おまけ:

後藤今日香/フィーリング・フリー - アニメカバー・ベストヒット30 Vol.2 (Disk 2) - ラムのラブソング「ラムのラブソング」・・・・TVシリーズのOPとして、革命的な名曲(途中の転調が凄いし、「すべてシンセで作られた初のアニメ音楽」です。カバーですが、原曲のテイストの忠実な再現に実に徹してくれているのが嬉しい。これはお勧めですね(^^)

白石みのる - 白石みのるの男のララバイ - 愛はブーメラン (24話エンディング)「愛はブーメラン」・・・・ 「ビューティフル・ドリーマー」のエンディング。・・・・ま、まさか男性によるカバー(???)があるとはねえ・・・・はっきりいって、らき☆すたの白石 みのる氏が、番組の中でエンディングとして無伴奏で歌ったに過ぎないものがiTunesにまで入っているだけみたいですので、古くからの「うる星」ファン の人は拍子抜けすると思います(^^;)


浜崎あゆみのアルバム"(miss)understood"

評価:
浜崎あゆみ,ayumi hamasaki,CMJK,tasuku,Yuta Nakano,H∧L,Kazuhiro Hara,KZB
エイベックス・マーケティング
¥ 1,500
(2006-01-01)
【ディスク1】
  1. Bold&Delicious(パナソニック SDオーディオ D-snap TV-CFソング)(パナソニック SDコンポ D-dock TV-CFソング)
  2. STEP you(パナソニック D-snap Audio/SDミニコンポ TV-CFソング)
  3. Ladies Night
  4. is this LOVE?(森永チョコレート BAKE CM ソング)
  5. (miss)understood
  6. alterna(パナソニック デジタルカメラ LUMIX FX-8 TV-CFソング)
  7. In The Corner
  8. tasking
  9. criminal
  10. Pride
  11. Will(パナソニック デジタルカメラ LUMIX FX-9 TV-CFソング)
  12. HEAVEN(映画 SHINOBI 主題歌)
  13. Are You Wake Up?
  14. fairyland(カメリアダイアモンドCMソング他)
  15. Beautiful Day
  16. rainy day(カプコン 新鬼武者 -DAWN OF DREAMS- エンディングテーマ)
【ディスク2】
  1. STEP you(video clip)
  2. is this LOVE?(video clip)
  3. fairyland(video clip)
  4. alterna(video clip)
  5. HEAVEN(video clip)
  6. Bold&Delicious(video clip)
  7. Pride(video clip)
  8. rainy day(video clip)
  9. Ladies Night(video clip)
  10. Bold&Delicious -SIDE STORY- (album ver.)
  11. STEP you(making clip)
  12. is this LOVE?(making clip)
  13. fairyland(making clip)
  14. alterna(making clip)
  15. HEAVEN(making clip)
  16. Pride(making clip)
コメント: ayuはこれまで2回主要な音楽スタッフを入れ替えたが、その「第3期」における2枚目のフルアルバムにあたる本作こそが、ayuの「アルバムアーティスト」としての成果が総結集した代表作であると私は感じている。
Amazonランキング: 11184位
Amazonおすすめ度:
浜崎あゆみ「第3期」を代表する金字塔というべきアルバム
新境地を開拓☆
まずまずの出来栄え

  ayuはこれまで2回主要な音楽スタッフを入れ替えたが、その「第3期」における2枚目のフルアルバムにあたる本作こそが、ayuの「アルバムアーティスト」としての成果が総結集した、緊張感に満ちた、近年の代表作であると私は感じている。

 このアルバムの余勢をかって連作された"Secret (DVD付)"のテンションの高さと共に、私は結局この2枚ばかりを繰り返し聴いてきた。
 
 冒頭曲"Bold & Delicious"は、ゴスペルとの関連がちまたで口にされるが、実に思い切った不協和音スレスレの和声進行が駆使されたインパクトが強烈な曲。むしろ ライブで聴衆と共に盛り上がることを念頭に置いたと見るほうがふさわしいだろう。歌詞の「際どさ」もそういう意味に解してはじめて意図が見えてくるのでは?
 
 タイトル同名曲、"(miss)understoood"は、当然「誤解」という意味と「誤解される女性」=ayuという意味が二重に重ねられたものだが、 そこで示される人間不信の深さを、ロック的なテイストで切々と歌い上げるその実存的燃焼度には鳥肌が立つ。

 "altena"の、「変化を恐れるなら離れたとこで見ててよ、なんかしたってしなくたって結局指差されるなら、あるがままに」という訴えにも深くこころを揺らされた。

 なお、"is this Love?"に関しては、ayuはライブの場では、アルバムとは全く異質なテイストの、異常なテンションで絶唱的に歌い上げることは、生あゆ常連にはおなじみかも。(ayumi hamasaki ARENA TOUR 2006 A~(miss)understood~ [DVD] 参照)

 "In The Corner"で示される、凄まじい自己不信の叫び。一転して"Will"の、一見歌謡曲調ですらあるメロディーラインの中で描かれる、美しくもはかなげな世界も大好きである。

 そして、ayuのパラードの中でも神がかりの「超傑作」というべき"HEAVEN"。

 もちろん、一般によく知られた、"STEP you""fairyland"もいい曲だが、ラストを実にシンプルな"rainy day"で静かに締めくくった構成も見事。

JUGEMテーマ:浜崎あゆみ

ビル・エヴァンズの"Waltz For Debby"(第2回)

評価:
ビル・エヴァンス,スコット・ラファロ,ポール・モチアン
ユニバーサル ミュージック クラシック
¥ 1,450
(2007-09-19)
【ディスク1】
  1. マイ・フーリッシュ・ハート
  2. ワルツ・フォー・デビイ(テイク2)
  3. デトゥアー・アヘッド(テイク2)
  4. マイ・ロマンス(テイク1)
  5. サム・アザー・タイム
  6. マイルストーンズ
  7. ワルツ・フォー・デビイ(テイク1)(ボーナス・トラック)
  8. デトゥアー・アヘッド(テイク1)(ボーナス・トラック)
  9. マイ・ロマンス(テイク2)(ボーナス・トラック)
  10. ポーギー(アイ・ラヴズ・ユー、ポーギー)(ボーナス・トラック)
Amazonランキング: 1583位
Amazonおすすめ度:
DSDマスタリング盤
ワルツをジャズに最初に持ち込んだのはマックス・ローチ。
「あぶない」アルバム

 

 私が偏愛するジャズ・トリオの歴史的名盤、ビル・エヴァンズ・トリオの"Waltz For Debby"を、YouTubeで全部ご紹介してしまうという企画、第2回です。

ワルツ・フォー・デビイ+4

ビル・エバンス・トリオ - Waltz for Debby

●Detour Ahead

 ↑これだけはYouTubeでいくら検索しても、アマチュアのギタリストさんによると思える動画しかなくて。ビル自身の作曲ではなくて、もっと以前からのスタンダード・ナンバーのようです。

●Bill Evans Trio - My Romance (tune3)

 ↑これは1979年のライブなので、ビルの急死の前の年のものです。

●Bill Evans - Some Other Time

 ↑指揮者としても著名だった、レナード・バーンスタインが、ミュージカル"On The Town"のために書いたナンバー。歌詞の日本語訳はこちら。YouTubeは、静止画のまま、アルバムオリジナル音源だと思います。 ・・・・ああ、どうしてもアルバムオリジナルがいいなあ。

●Miles Davis - Milestones

 ↑これもエヴァンズ・トリオ版の動画発見不能。やむを得ず、マイルスのオリジナルアルバムのタイトル同名曲を音源としたものから引っ張ってきました。セクステットという大規模な編成、コルトレーンも参加している豪華なセッションですが、そろぞれのソロ・プレイのかけあいが実にかっこよく、ハードで豪快なので、ビルのアルバムとは異質な空気ですね。

 なお、ビルとマイルスは親交が深く、このアルバムの次に来る、デイヴィスの歴史的名盤、"Kind of Blue"では、ほとんどの曲をビルがピアノを弾いて、このアルバムそのものがビルのクリエイティビティ抜きには考えられないくらいですが、このYoutubeの中で「地味ーに」ピアノを弾いているのは、もちろんビルではありません。

*****

 ここまでが、アルバムオリジナルの曲目ですが、現行CDのボーナス・トラックに入っている、別テイク以外のものまで追加しましょう。

●Bill Evans - "I Loves You Porgy" Solo - NYC 1969

 ↑ここではビルのソロ・プレイ。原曲はガーシュインの「ポーギーとべス」のナンバーです。

 「ポーギーとべス」といえば、何を置いても"Summertime"でしょうから、このアルバムからは離れますが、ビルによる演奏も。

●The Bill Evans Trio - Summertime (1965)

*****

 おしまいに、ビルとしてはやや軽いノリの演奏かと思いますが(それでもインタープレイが始まれば凝ってるよな、やっぱり)、いわば「アンコール」の意味を込めて「いつか王子様が」。

●Bill Evans Trio - Someday My Prince will Come

 なお、ビルの演奏記録としては、DVDでも幾つも出ているようですが、私も1本め以外は観ないままですけど、ここでは、次の3つを紹介しておきます。

ザ・ユニヴァーサル・マインド・オブ・ビル・エヴァンス [DVD] ※こちらは本格的ドキュメンタリーです。演奏というより、じっくりとしたインタビュー中心。

ワルツ・フォー・デビー/ジャズ・セット’72 [DVD]
※こちらは、amazon評では「調子が悪そうで痛々しい」とあります。

Oslo Concerts [DVD] [Import]
※これはamazon評が絶賛。

(この項おわり)

JUGEMテーマ:ジャズ

ついにあの、「NHKスペシャル うつ病治療 常識が変わる」書籍化!!

評価:
NHK取材班
宝島社
¥ 1,200
(2009-09-17)
コメント:うつ病治療の啓発番組としては画期的だった番組の書籍化。
Amazonランキング: 835位
Amazonおすすめ度:
放送された番組を遥かに超える圧倒的情報量。よくぞここまで書籍化して下さいました!!
"うつ"は"心の風邪"というより"心の生活習慣病"と思うべきなのかも。
素晴らしい視点

  私が開業サイトの方で延々と連載記事を組み、私のサイトが一気にうつサイト化するきっかけとなった、画期的な番組、「NHKスペシャル うつ病治療 常識が変わる」書籍化されました。

NHKスペシャル うつ病治療 常識が変わる

(楽天ブックス)

 類書を完全に越えたところまで、日本の現在のうつ治療の問題点と、その背後にある医師養成制度、保険制度上の問題、現状ですでになされている先進的な試みを紹介、日本のうつ治療の「光」と「影」を余すところなく描き切れています。

 番組をご覧になった方でも、改めてお読みになる価値があると思いますよ(密度が3倍ぐらいアップした感じ)。

 更には、もはや単にうつの問題を越え、精神医療とカウンセリング界の間の国家資格化をめぐってのぎくしゃくした現実にも、率直に切り込んでいる。

 ともかく、膨大で多方面な取材と、現状までの道のりをここまで生々しく掲載することに同意された(元)患者の皆様に感謝するしかない。

******

 私は、この番組を大きなきっかけとして、気分障害全般にわたる薬物療法について、このわずか半年あまりの間に、臨床心理士の分際で、むやみやたらと勉強させていただきましたし。

 実は、うつ病と気分障害の誤診と、薬物投与の問題点のおかげで、いつまでも苦しんでいる人たちがいる可能性に気づかされたのは、この番組の放送直前の時期のことでした。

 あるクライエントさんとお会いしている時に、調子がよくなると通院しなくなり、調子が悪くなると別の病院で通院再開されるパターンを数年にもわたって繰り返しておられることに気がつき、投薬歴をすべて訊き出して、カウンセリングルームに常備していた「今日の治療薬 ―解説と便覧」首っ引きで点検していったのですね。

(楽天ブックス)

 すると、処方されてきたのは、三環系にしてもSSRIにしても、ともかく抗うつ薬ばかりが中心。

 私には、そのクライエントさんには、まさに双極2型に相当する周期的な気分変動があるために、鬱が治ったと感じた時点で治療中断を繰り返す現象が生じているかに思えもしたので、リーマス、デパケン等の気分スタビライザの処方がなされたことがあるかどうかを確認したかったのですが、一番最近の病院でやっとごく少量のリーマスの処方がなされたばかりでした。しかも、リーマスの処方の際に並行して不可欠なはずの「血中濃度検査」を受けた形跡がないのです。

 私はしっかりとこうした点を紹介状にしたため、その地域の信頼できそうな精神科病院に行くことを勧めることになりました。

*****

 そうしたできごとからさほどたたないうちにこの番組に接したものですから、インパクトはたいへんに強烈でした。

JUGEMテーマ:カウンセリング

calendar
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< January 2010 >>
sponsored links
selected entries
categories
archives
recent comment
  • ついにあの、「NHKスペシャル うつ病治療 常識が変わる」書籍化!!
    こういちろう (11/26)
  • ついにあの、「NHKスペシャル うつ病治療 常識が変わる」書籍化!!
    tomoko (11/25)
  • 書評:ジェンドリン「夢とフォーカシング」
    こういちろう (11/20)
  • 書評:ジェンドリン「夢とフォーカシング」
    msu (11/08)
recommend
いのちとこころのカウンセリング―体験的フォーカシング法
いのちとこころのカウンセリング―体験的フォーカシング法 (JUGEMレビュー »)
エルフィー ヒンターコプフ
スピリチュアリティという言葉は、日本では、妙に「高尚に」受け止められるか、逆に貶められるかのいずれかに、特にカウンセリング業界ではなりやすい。実は、例えば花を見て美しいと感じるような、日常のすぐそばに、誰にでもある、ささやかなこころの癒しの世界なのだが。そうした「ささやかな世界」・・・しかし人間の実存と深く関わりあった領域との関わりについて、フォーカシング技法を媒介とした手引きとして読む時、本書は身近な本になるであろう。
recommend
現実に介入しつつ心に関わる―多面的援助アプローチと臨床の知恵
現実に介入しつつ心に関わる―多面的援助アプローチと臨床の知恵 (JUGEMレビュー »)
田嶌 誠一
家庭内で虐待を受けた子供たちが収容される児童養護施設内部で繰り広げられている凄まじい施設内暴力。それは単に生育暦上のトラウマの結果ではなく、まさに施設内で進行している、安全欲求が満たされない環境それ自体によって悪循環的に生じている。そこには狭い意味での心理療法アプローチを超え、施設や公的機関と連携しつつももそれらから独立したリーダーを中心とした「安全委員会」方式と呼ばれるネットワーク形成型アプローチが必要ではないか。そのことを提唱し、実践してきた、日本有数の「現場で行動する臨床心理士」田嶌誠一先生の新著。
recommend
治療論からみた退行
治療論からみた退行 (JUGEMレビュー »)

日本では土井健郎先生の「甘え」理論の紹介者としてばかり名高いバリントだが、その精神療法の集大成は本書である。私の最も敬愛する精神療法についての著作としての位置は揺るぎない。
recommend
フォーカシング事始め―こころとからだにきく方法
フォーカシング事始め―こころとからだにきく方法 (JUGEMレビュー »)
村瀬 孝雄
私自身が共著者の本ですが、中古市場でもさほど高すぎない水準で入手できます。アン・ワイザー法フォーカシングが日本に本格的に紹介された黎明期、私にとっても「フォーカシングの青春時代」の大事な遺産。今でも内容は古びていないという自負はあります。
recommend
言葉で治療する
言葉で治療する (JUGEMレビュー »)
鎌田 實
この本は狭義の精神医学やカウンセリングについての本ではないのだ。だが、医療現場や援助的専門職全般に携わる人必読だと思う。
recommend
うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー〈映画BGM集II〉
うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー〈映画BGM集II〉 (JUGEMレビュー »)
サントラ
押井守氏の映像作家としてのとてつもない可能性を日本映画界に知らしめた、1984年(もう四半世紀経ったのか・・・)の劇場映画のBGM集。LP時代からの私の愛聴盤。今や中古市場ではプラチナCD化していますが、独立したBGMとしてもたいへん完成度が高い逸品です。
recommend
インタラクティヴ・フォーカシング・セラピー―カウンセラーの力量アップのために
インタラクティヴ・フォーカシング・セラピー―カウンセラーの力量アップのために (JUGEMレビュー »)
ジャネット クライン
ほんとうの意味で、相手の「身になって」話を聴くとはどういうことか? そのための具体的な相互トレーニングを示した書。
recommend
ワルツ・フォー・デビイ+4
ワルツ・フォー・デビイ+4 (JUGEMレビュー »)
ビル・エヴァンス,スコット・ラファロ,ポール・モチアン
ビアノ・トリオ形式によるジャズの名盤として名高い録音です。クラシック音楽になじんだ人には特にお勧め。
recommend
ビューティフル・マインド ― アワード・エディション [DVD]
ビューティフル・マインド ― アワード・エディション [DVD] (JUGEMレビュー »)

奇矯な人物ともいえるが、同時に人間臭くもある、天才とその伴侶の生き様を描いたいい作品だと思う。ナッシュ役のラッセル・クロウの演技はほんとうにその頃のナッシュその人に似ているそうです。ある程度のフィクション的誇張はあるにせよ、統合失調症についてドラマとして大衆に一定の認識を与えた意義は大きいだろう。
recommend
NHKスペシャル うつ病治療 常識が変わる
NHKスペシャル うつ病治療 常識が変わる (JUGEMレビュー »)
NHK取材班
うつ病治療の啓発番組としては画期的だった番組の書籍化。類書を完全に越えたところまで、日本の現在のうつ治療の問題点と、その背後にある医師養成制度、保険制度上の問題、現状ですでになされている先進的な試みを紹介、日本のうつ治療の「光」と「影」を余すところなく描き切れています。番組をご覧になった方でも、改めてお読みになる価値があると思いますよ(密度が3倍ぐらいアップした感じ)。更には、もはや単にうつの問題を越え、精神医療とカウンセリング界の間の国家資格化をめぐってのぎくしゃくした現実にも、率直に切り込んでいる。ともかく、膨大で多方面な取材と、現状までの道のりをここまで生々しく掲載することに同意された(元)患者の皆様に感謝するしかない。
recommend
フォーカシング指向心理療法〈上〉体験過程を促す聴き方
フォーカシング指向心理療法〈上〉体験過程を促す聴き方 (JUGEMレビュー »)
ユージン・T. ジェンドリン
フォーカシングを臨床現場でどのように生かすか?・・・・様々な技法との統合的アプローチの可能性を、開発者自身が示唆した基本文書
recommend
夢とフォーカシング―からだによる夢解釈
夢とフォーカシング―からだによる夢解釈 (JUGEMレビュー »)
ユージン・T. ジェンドリン
夢分析というものへの既成概念を根底から覆す、クリイティブでエキサイティングな可能性を開く
recommend
ハウルの動く城 [DVD]
ハウルの動く城 [DVD] (JUGEMレビュー »)

 この作品の真の主人公はソフィーではなくて、ハウルだというつもりで観てみるといいのではないかと(^^)そう観ると、もう、宮崎さんの女性というものへの思いむき出しの作品だとわかってくる。
recommend
崖の上のポニョ [DVD]
崖の上のポニョ [DVD] (JUGEMレビュー »)

実はこれってやっぱり"Boy meets Girl"の物語なのだと思う。
recommend
なぜうつ病の人が増えたのか
なぜうつ病の人が増えたのか (JUGEMレビュー »)
冨高 辰一郎
お読みになるとすれば、冷静に細やかに読解し、安易にこの本を振りかざして、「重たくない」とされるうつ病の人を軽視することに繋がらないことを祈ります。
recommend
魔女の宅急便 [DVD]
魔女の宅急便 [DVD] (JUGEMレビュー »)

キキの、思春期の少女ならではの、一見唐突なまでの感情の激変ぶり(それにはすべてきかっけあってのことなのだが)を、画面の力だけでここまで表現し切れる宮崎さんの力量にはほんとうに驚かされる。子供の頃観た皆さん、どうかもう一度観てみて下さい。遥かに感情移入できることに驚かれるかもしれません。
recommend
治療文化論―精神医学的再構築の試み (岩波現代文庫)
治療文化論―精神医学的再構築の試み (岩波現代文庫) (JUGEMレビュー »)
中井 久夫
 欧米の精神医療に置ける診断基準は全世界に通用するものなのか? 時代的・歴史的・文化的・地理的な要因が複合して、多様な表れ方をするものなのではないか? 西欧的生精神医療と土俗的・宗教的な癒しは両立可能なのではないか? ・・・こうした問いかけは、中井先生のもう一冊の代表作「分裂病と人類」とワン・セットで接する時、他の精神医学者の追従を許さない、壮大な「中井ワールド」を構築するのである。
  
recommend
双極性障害―躁うつ病への対処と治療 (ちくま新書)
双極性障害―躁うつ病への対処と治療 (ちくま新書) (JUGEMレビュー »)
加藤 忠史
双極性障害1型についての入門書としてはたいへんわかりやすい。アメリカの製薬会社や薬の治験のあり方についての影の部分についても率直に述べられている。
recommend
recommend
おくりびと
おくりびと (JUGEMレビュー »)
臨床心理士という自分の職業との接点を不思議と感じさせていただけました。
recommend
生きる<普及版> [DVD]
生きる<普及版> [DVD] (JUGEMレビュー »)

ラスト40分のお通夜の席でのやりとりのリアリズムこそがこの映画の真骨頂では?
recommend
幸福論 (第1部) (岩波文庫)
幸福論 (第1部) (岩波文庫) (JUGEMレビュー »)
ヒルティ
 私の中学時代の人生を支えた本。
recommend
フォーカシング
フォーカシング (JUGEMレビュー »)
ユージン T.ジェンドリン
自分の内側の言葉にならない曖昧な感じからのメッセージを少しずつ受け止めていく技法、フォーカシングの創始者自身による、一般向けに書かれた最初の「技法」解説書としての価値は不朽である。言うまでもなく、フォーカシングに関心を抱く人必読の「第一基本文書」だが、技法の手引きとして、他の欄でも紹介している、アン・ワイザー・コーネルをはじめとする様々な実践家による著作で、更なる展開がなされていることを忘れてはならない。
recommend
エル・シッド―中世スペインの英雄 (叢書・ウニベルシタス)
エル・シッド―中世スペインの英雄 (叢書・ウニベルシタス) (JUGEMレビュー »)
リチャード フレッチャー
 映画「エル・シド」に感銘を受けた人が時代背景を知るにはこの本さえあれば十分です。日本人には縁遠い、11世紀のスペインにおける、イスラム教徒との複雑な関係について、わかりやすく解説してくれていると同時に、その内容的なつっこみの深さという点でも、日本で刊行された他の「エル・シド」に言及した著作を遥かに凌駕しています。
recommend
エル・シド デジタルニューマスター版 [DVD]
エル・シド デジタルニューマスター版 [DVD] (JUGEMレビュー »)

 チャールトン・へストンの真の代表作。「十戒」や「ベン・ハー」よりも個人的には好きです。
recommend
recommend
recommend
recommend
フォーカシング入門マニュアル
フォーカシング入門マニュアル (JUGEMレビュー »)
アン・ワイザー コーネル
 未だに、フォーカシングを技法として学びたい人にとっての最良の入門的教科書としての地位に揺るぎはない。
recommend
私のうつノート
私のうつノート (JUGEMレビュー »)
読売新聞生活情報部
 この著作にまとめられた読売新聞の連載が、現代日本のうつ病の中核群となった「双極性2型障害」についての社会認識に与えた影響は計り知れないものがある。
recommend
うつ病新時代―双極2型障害という病 (精神科医からのメッセージ)
うつ病新時代―双極2型障害という病 (精神科医からのメッセージ) (JUGEMレビュー »)
内海 健
 双極2型障害に限らず、現代日本のうつ病に苦しむ人、そして精神科医に書かれた、最も説得力のある著作。
recommend
recommend
recommend
BEST OF SOUL
BEST OF SOUL (JUGEMレビュー »)
BoA,BoA w/z SOUL’d OUT
 BoAのベストアルバム。このアルバムを聴くと、avexが彼女の売り出しのために、いい意味で、最良の音楽製作チームを揃え、ハイ・クオリティーで緊張感あるサウンドを送り出し続けていたかがよくわかる。浜崎あゆみファンの私にとっても、この凝りに凝った編曲のサウンド・クオリティには舌を巻き、頻繁に聴き返すアルバムとなって今日に至る。

・・・・もっとも、私が個人的に好きな曲は、素朴で純真な"コノヨノシルシ"だったりするのだ(^^;)
recommend
Secret (DVD付)
Secret (DVD付) (JUGEMレビュー »)
浜崎あゆみ,ayumi hamasaki,H∧L,tasuku,Kazuhiro Hara,CMJK,Keiji Tanabe,HIKARI,Shingo Kobayashi
recommend
(miss)understood (DVD付)
(miss)understood (DVD付) (JUGEMレビュー »)
浜崎あゆみ,ayumi hamasaki,CMJK,tasuku,Yuta Nakano,H∧L,Kazuhiro Hara,KZB
 ayuはこれまで2回主要な音楽スタッフを入れ替えたが、その「第3期」における2枚目のフルアルバムにあたる本作こそが、ayuの「アルバムアーティスト」としての成果が総結集した代表作であると私は感じている。
recommend
recommend
recommend
精神科医になる―患者を“わかる”ということ (中公新書)
精神科医になる―患者を“わかる”ということ (中公新書) (JUGEMレビュー »)
熊木 徹夫
 神田橋條治先生と中井久夫先生の後継者として注目を浴びる才能あふれる精神科医、熊木徹夫氏のエッセンスが詰め込まれた名著
recommend
分裂病と人類 (UP選書 221)
分裂病と人類 (UP選書 221) (JUGEMレビュー »)
中井 久夫
 結局、中井久夫先生の才能の凄さはこの一冊に集約されている。私の座右の書としての位置は今日まで揺るぎません。
links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM